2010年2月7日日曜日

大都会での生活

ブエノスアイレスに来て二週間が経とうとしている。大都会ブエノス。とりあえず、散文的に自分の感想。

なんといってもサッカー大国。ちょうど2月に入りシーズンが開始したこともあって非常に盛り上がっている。まだスタジアムには出向いていないが、ここブエノスに本拠地をもつチームが3チームもあり、日本でも有名なボカ・ジュニアーズ、リバープレート(かつてトヨタカップに二度出場し一度は優勝している。現在かつてポストマラドーナと言われたオルテガが復帰している)とサンロレンソ。ブエノスを本拠地としていないチームでは前年度のクラブワールドカップ準優勝国のエストゥデアンテスやアルヘンチノス・ジュニアーズなど、とにかくレベルが高いリーグである。ちなみに余談だが、こっちの日系人と知り合いになり、フットサルに参加させてもらっているが、一般人レベルもかなり高い。おじさんが普通にヒールパス使ったりと、プレーがオシャレ。その高校生、中学生の息子もリケルメみたいなプレースタイルでこれまたうまい。

宿が一緒になったリュウジはこっちの3部リーグ、サルタでプレーしているサッカー選手。3部といえどもれっきとしたプロ。もうアルゼンチンにきて3年目だという。彼曰く

「とにかく厳しい世界。毎回試合の度に監督にここにパスポート置いてけっていわれる。いつでも帰れるようにって発破かけられるんですよね」

そんな中、生き残っている彼はすごい。日本人は技術、スピードではひけをとらない。でもなぜ世界大会では勝てないのか。一言でいうと勝負根性に欠ける。勝ち負けに対する執着心の欠如。よく日本でも言われていることではあるが、これは実際に海外でサッカーをやったものにしか感じることはできないと思う。もっともっと彼のようなサッカーに対する情熱をもった選手が海外で花開くことを期待する。サルタに行ったときは是非みんな彼を応援しよう。

ワイン。とにかく種類が豊富。安くておいしいものがたくさん。さすが生産量が世界でも上位を誇る国である。スーパーに行き、だいたい10ペソ前後(300円から400円くらい)のものを選んで、夜な夜な酔いちくれております。

地下鉄。ここの地下鉄開通は日本よりも14年早い1913年。森繁久彌、アルベール・カミュ、アルバート・キャパ、ビビアン・リーや植田正治が生まれた年であり徳川慶喜、岡倉天心そして田中正造が没した年。非常に古い。南米で地下鉄に乗ったのは初めてのことである。アルゼンチンでは地下鉄のことをSUBUTEと呼ぶ。乗ってみるとどことなく懐かしい。それもそのはず、日本の丸ノ内線で使用していたものをここで再利用しているのだ。よく見て見るとガラスに「乗務員口」の文字は未だに残っている。よくもまぁ、こんなでっかい車両を運んできたもんだと感心してしまう。とはいえ日本の使い古し車両。やはりボロいし汚い。

宿でビールを飲みながら、レセプションで働いているニノに質問する。ここで働いて月どれくらい稼げるのかと。彼曰く月に約2000ペソ。日本円にして約5万円。ここブエノスではまあまあの給料だという。ましてや南米諸国で比べるといいほうらしい。彼はペルーからこっちに働きに来ていて、ペルーだと月の2、3万円もらえれば良いほうだそうだ。彼とはすごく仲が良くなり、一緒にご飯食べに行ったり、買い物に行ったりとよく行動を共にした。とある日、セビッチェ(ペルーの名物料理)を食べに行こうと誘われたので、ここブエノスでペルーレストランに行くことに。もちろんオーダーしたのはセビッチェ(それとビール)。量の違いはもちろんあるが、とにかく高い。ペルーで食べれば場所によってだが、2ドルから3ドルで食べれるものがここでは約10ドル近くする。物価レベルを考えると恐ろしく高い。だから彼は月に1回だけここに食べにくるのだという。月に一度しか食べれない故郷の味。非常に寂しいものである。

宿にはブラジル人、チリ人、フランス人、イスラエル人、アメリカ人と多種多様な人種がひしめき合っている。そしてもちろん言葉も多種多様。フランス人と話すときはこっちは英語で相手はスペイン語だったりとなんともへんな感じ。でもちゃんとコミュニケーションはとれているから面白いもんである。


さてブエノスアイレスの後はメンドーサにでも行って、ワイナリー見学とでも行きますかね。


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