Trujilloを後にし、また同じようにPanamericaを走り抜ける。Cazumaからは国道号線に移り、そこから一気に標高3028mの街Wuarazを目指す。ここからの道は…想像以上に酷かった。というか、本当にこの道で合っているのか心配になるほど険しかった。一本道なのだが、山越え谷越えならまだしも、小川、岩道を数々越えて行く。自分以上にバイクが心配になる。しかし、驚く事にそんな山の中にも点々と村が点在しているのだ。こんな山の上でどうやって生活しているんだと不思議にも思うのだが、みんなしっかり生活している。しかも、通りすがりの見ず知らずの自分に手を振ってくれるとても素朴な子供達。しかし、実際の自分はというと運転に必死で手を振り返す余裕すらなかった。約4時間のダートロードを終え、満身創痍で宿に到着。お尻はこれまで以上に痛い上に、バイクはドロドロ。とはいえ、街から見渡せる6000m級のアンデス山脈はなんとも言えぬ景色。山々の頂には白い雪が覆い今までの海沿いの街とは(当たり前なのだが)別世界。うーん、海もええけど山もええなぁと数日街でのんびり。この街でもダミアン&ジェニーカップルと再び合流。
2009年8月27日木曜日
Huaraz
Trujilloを後にし、また同じようにPanamericaを走り抜ける。Cazumaからは国道号線に移り、そこから一気に標高3028mの街Wuarazを目指す。ここからの道は…想像以上に酷かった。というか、本当にこの道で合っているのか心配になるほど険しかった。一本道なのだが、山越え谷越えならまだしも、小川、岩道を数々越えて行く。自分以上にバイクが心配になる。しかし、驚く事にそんな山の中にも点々と村が点在しているのだ。こんな山の上でどうやって生活しているんだと不思議にも思うのだが、みんなしっかり生活している。しかも、通りすがりの見ず知らずの自分に手を振ってくれるとても素朴な子供達。しかし、実際の自分はというと運転に必死で手を振り返す余裕すらなかった。約4時間のダートロードを終え、満身創痍で宿に到着。お尻はこれまで以上に痛い上に、バイクはドロドロ。とはいえ、街から見渡せる6000m級のアンデス山脈はなんとも言えぬ景色。山々の頂には白い雪が覆い今までの海沿いの街とは(当たり前なのだが)別世界。うーん、海もええけど山もええなぁと数日街でのんびり。この街でもダミアン&ジェニーカップルと再び合流。
2009年8月19日水曜日
Trujillo
2009年8月18日火曜日
再会、そして出発。そして…
ペルー北部の海岸沿いは美しいビーチが点在し、ここMancoraもそのうちの一つ。物価が非常に安く、気候もほどよいので多くの観光客が訪れている。街の規模は非常に小さく、大通りから少し入り込むと建設中の建物だらけで完全に観光客を相手に成り立っている街だと言えよう。因にここペルーではサーフィンがかなり盛んであり2004年の世界大会で優勝したSofia Mulanovichもここペルー出身のサーファーなのである。
2009年8月16日日曜日
ペルー入国
グアヤキルを後にしペルーに向けて走り出す。とはいえ地図もコンパスも持ってないので所々で人に聞いてまわる。しかし、前から思っていたことだが人の言うことは当てにならないものだ。みんな言うことが適当。結局最初の1時間ほど全くペルーと逆方向に向けて走っていた。そこから大回りして再びグアヤキル方面へ向かい、それからやっとペルー方面へ走り出した。国境まではとにかく直線が続く。両サイドには広大なバナナ農園。世界シェアで第4位をほこるバナナ。日本でも一昔前まではエクアドルバナナがシェアを占めていたが現在ではフィリピンバナナにその座を奪われている。
国境に辿り着いたときには日が暮れかけていた。海岸沿いからの国境越えはみんな危ないと言っていたのだが、バイクでは特にその点に関しては感じず、ただイミグレーションの場所が非常に判りにくかった。前回のコロンビア~エクアドルの時はただ単にバイクでの越境が初めてだったので通り過ぎてしまったのだが、今回は手前の街にわざわざ寄らなければイミグレーションがないという状況だったので、知らずに越境してしまい国境警察に指摘され再びエクアドルの手前の街まで引き返すということになってしまった。とはいえエクアドル側での手続きはすぐに終わり、無事ペルー入国。しかしペルー側のイミグレーションもこれまた判りにくかった。国境から離れた街の中にあり、探している途中に一方通行を逆走し警察に職質されるはめに。なんとなく言っていることはわかるのだが、こういうときに役に立つ何を言っているか全く解りませんゼスチャー。しかしこの時ばかりはあまり通用せず、警察署まで同行。とにかく今イミグレーションに向かってるんだと伝えたのだが、この国では免許証が必要だとか保険に加入しなければならないだとかうだうだ言われる始末。しかし特に金を請求されることもなく、最後には「ビエン ビアッヘ(良い旅を)」と署長さんと固い握手。なにがなんだかよくわからないがひとまず一安心。そしてやっと辿り着いたイミグレーション。ここでも問題発生。ニカラグアのときのようにたかってくる勝手に手伝おうとする現地民。いやいいからと言っても勝手に手伝ってくれる。あげくの果てに金を要求。ペソ持ってないからと言うと近くにATMあるからそこまで連れてってあげるからとありがた迷惑にもほどがある。金の代わりに持っていたウィスキーボトル(約半分)とエクアドルの小銭でなんとか追っ払う。
後はひたすら海岸沿いの街マンコラを目指す。ここでキトで宿が一緒だった、ルーカスとダミアン、ジェニーが待っている。とはいえすでに日は暮れている。真っ暗なpanamerica highwayを時速80㎞で突っ走るのはかなりの勇気がいる。時折すれ違うバスや大型トラックのライトで全く前が見えない。その都度スピードをゆるめ、なんだかんだマンコラに着いた頃にはすでに午後11時をまわっていた。なんとか駐車場ありの宿を見つけそこに宿泊。さすがに10時間以上の運転は疲れる。そのままベットに直行するのであった…