2009年8月27日木曜日

Huaraz


Trujilloを後にし、また同じようにPanamericaを走り抜ける。Cazumaからは国道号線に移り、そこから一気に標高3028mの街Wuarazを目指す。ここからの道は…想像以上に酷かった。というか、本当にこの道で合っているのか心配になるほど険しかった。一本道なのだが、山越え谷越えならまだしも、小川、岩道を数々越えて行く。自分以上にバイクが心配になる。しかし、驚く事にそんな山の中にも点々と村が点在しているのだ。こんな山の上でどうやって生活しているんだと不思議にも思うのだが、みんなしっかり生活している。しかも、通りすがりの見ず知らずの自分に手を振ってくれるとても素朴な子供達。しかし、実際の自分はというと運転に必死で手を振り返す余裕すらなかった。約4時間のダートロードを終え、満身創痍で宿に到着。お尻はこれまで以上に痛い上に、バイクはドロドロ。とはいえ、街から見渡せる6000m級のアンデス山脈はなんとも言えぬ景色。山々の頂には白い雪が覆い今までの海沿いの街とは(当たり前なのだが)別世界。うーん、海もええけど山もええなぁと数日街でのんびり。この街でもダミアン&ジェニーカップルと再び合流。

さて、チャビン遺跡は紀元前1000年頃に造られたチャビン文化の遺跡。1985年に世界遺産に登録されている。古い割には建物もしっかり残っていて、特に旧神殿の地下回廊にあるランソンと呼ばれる石塔の主神体は必見。この回廊から発見された多くの土器は博物館に展示されていた。しかもこの博物館、日本が支援して建てられたものらしく、入り口には記念プレートが飾られ、しかも展示物の説明もご丁寧に日本語で表示されていた。ちなみに、1996年の在ペルー日本大使公邸人質事件の際に、軍が地下を掘り進み、武力突入の作戦名としたのが「チャビン・デ・ワンタル」(ペルー中央部、コルディエラ・ブランカの東斜面、標高約3200mにあるチャビン遺跡に残る神殿の名)だったそうだ。

そしてこの街に来たもう一つの理由、Huasucaran国立公園を見学。アンデス山脈第2の高峰で、ペルー最高峰のワスカラン6768mをいただく国立公園。ここもチャビン遺跡と同じく1985年に世界遺産に登録されている。国立公園を訪れる前に標高2500m、Yungayという街を訪れる。ここは1970月のM7.8の大地震によって引き起こされた地滑りのために街の人口18000人のうちほとんどの人が生き埋めになったそうだ。以前の街は公園になっていて、公園内には埋もれたバスなどがそのままオブジェとしてあり、それを見ただけでも当時悲惨な状況がうかがえる。そこからバスで約1時間、国立公園に到着。園内に入るとヤンガヌコ湖という氷河湖が広がってる。エメラルドグリーンの湖水、高山植物の緑が非常に美しい。しばらく公園を散歩した後、帰路につくのであった。

帰りのバスでとなりに座っていたリマから来ているペルー人の女の子(名前は忘れた…)と日本のドラマの話で盛り上がる。日系の友人から教えてもらったらしく「花より団子」や「池袋ウエストゲートパーク」等色々見ているとか。ちなみに好きなアイドルは松本潤らしい…

あと、ここでの宿Caroline Lodgingは非常に居心地良く、朝食付きで13ソル(約450円)と安い。宿のパパ、ママももの凄くフレンドリーなのだが、会う度に「チニート!」(中国人の意味)と言われるのには少しいただけない。フジモリ元大統領もこのあだ名をつけられてたらしいので、彼らにとって親しみの意味を込めて呼んでいるのだろうが、日本人と中国人は大きく違うというのをいい加減認識してもらいたいものだ。



2009年8月19日水曜日

Trujillo

翌朝早めに起床し、丁度バイクの走行距離が3000㎞になっていたのでオイル交換しにバイクショップへ。一番良いオイルを入れてもらい、ついでにタイヤの空気圧&チェーンのたるみ調整もやってもらう。工賃込みで28ソル(約950円)。自分でやってもいいのだが、値段が値段なだけにすべてお任せ。昨日のようなへまはしないようにとガソリンも満タンにし、再び砂漠地帯をひたすらぶっ飛ばす。一番良いオイルを入れたせいかエンジンの調子がすこぶる良い。昼の3時頃にはTrujilloに到着。

ここTrujilloでの一番の見所はなんといってもChan Chan遺跡だろう。1986年に文化世界遺産としても登録され、プレインカ最大の王国、チムー王国はエクアドル国境700km余りの地域を支配下とした、紀元850年頃から、インカに征服されるまで栄えていた王国文化。チャンチャンとは“輝ける太陽”の意味らしい。

後日、早速遺跡を見に行く。チャンチャン遺跡、博物館、エスメラルダ・ワカやドラゴン・ワカのセットで学割使って6ソル(約200円)。まずはチャンチャン遺跡。「シウダデラ」という複数ある王宮の区画の内、公開されているのは一つだけ。とはいえサッカーコートと同じくらいの広さもあるので全て見るには結構時間がかかる。中には広場、倉庫、アウディエンシアという王への貢物を献上するための場所がある。そして少し離れた郊外にエスメラルダ、ドラゴン・ワカ(ワカとはピラミッドの意味)が点在しており、どの遺跡も特徴としてはアドベ(土)の城壁で囲まれ、部屋ごとに鳥や魚といった異なるレリーフが装飾されていてどれも非常にすばらしい。しかし、9世紀から14世紀といえばほぼアンコール遺跡と同時期であり、アンコール遺跡と比べてしまうとどうしても物足りなさを感じてしまうのは僕だけであろうか。もちろんその土地の土壌、気候、文化などと色々な条件が異なるため比べること自体が無意味なのかもしれないが…

夕暮れにときにかけてそのままHuanchaco海岸沿いをバイクで走ってみる。浜辺の所々に立てかけてあるトトラ舟。未だにこの舟で漁をしているらしいのだが、夕方ということもあり漁師らしき人は見かけることはできなかった。

しかし、さすがに海沿いの街ということあって海産物が安くてうまい。特にセビッチェ。生魚にレモンを搾ってタマネギのスライスと共に食す。結構、みんなお腹をぶち壊しているらしいので食べ過ぎには注意したいのだが、いかんせん生魚大好き生粋の日本人。食べ出したら止まりません…

2009年8月18日火曜日

再会、そして出発。そして…


ペルー北部の海岸沿いは美しいビーチが点在し、ここMancoraもそのうちの一つ。物価が非常に安く、気候もほどよいので多くの観光客が訪れている。街の規模は非常に小さく、大通りから少し入り込むと建設中の建物だらけで完全に観光客を相手に成り立っている街だと言えよう。因にここペルーではサーフィンがかなり盛んであり2004年の世界大会で優勝したSofia Mulanovichもここペルー出身のサーファーなのである。

それはさておき、無事ルーカス、ダミアンと再会を果たした(残念ながらジェニーとは食中毒にかかり会うことができなかった)ところで次はChan Chan遺跡が眠る街Trujilloを目指して走り出す。

永遠と続くpanamerica highwayをひたすらアクセル全開で突っ走る。Piuraを過ぎると道両サイドに広がる砂漠地帯。とにかくなにもない。人もいなけりゃ家も無い。車とすれ違うのも数えるほどなのだ。しかし、ちょうどiPodから「welcome to the jungle!!!!!!!!」とアクセル・ローズの声が響いてきたところで問題発生。先ほどまで爽快に走っていたバイクが「プスップスッ」と音を立てて止まってしまったのだ。そう、不覚にもこの何も無い砂漠地帯でガソリン欠乏症…悩んでもしょうがない…叫んでもなにも出てきやしない!しょうがないので次のガソリンスタンドまでひたすら歩くことに。とはいえ先に見えるのは永遠と続くハイウェイと砂漠地帯…

約1時間歩いたところでやっとレストランたるものが見えてきた。ここでガソリンが分けてもらえるはず!と胸を躍らせ入り口に立つ。が、閉店中。まったくもって人気なし。目の前に停まっていたトラックの運転手に次のガソリンスタンドまでどれくらいかと尋ねると5㎞先にあるらしい。あと5㎞…とにかく日が暮れる前になんとかこの砂漠地帯を抜けなければと疲れきった体に鞭打ち再び歩き出す。約5㎞地点、それらしきものは…ない。しかし途方にくれる暇はない。日没は刻一刻とせまっている。少し歩いたところで一度通り過ぎた一台のワゴン車が引き返して声をかけてきた。ガス欠だと伝えると次のガススタンドまでロープで引っ張って行ってくれるという。なんとありがたい。ロープで引いてもらっていると、後部座席に座っている子供達が物珍しそうに自分をデジカメで撮影している。うーん、なんとも恥ずかしい…ガススタンドというかあばら屋に辿り着くと、家族にお礼を言いそして息子と固い握手を交わし別れる。ペルーも捨てたもんじゃない、そして文明の力に感謝しつつ再び走り出した。

日もすっかり暮れてしまい、到底トルヒーヨまで辿り着くことは不可能。ここから一番近い街まで約40㎞。とにかくそこまで行って宿を探すことにする。真っ暗な道に時折背後から猛スピードで走り去る大型バス。それはまだしも真っ正面から対向車線の追い越しバスが突っ込んできて、全く避けようともせず、あげくの果てにはドスの利いたクラクションでそこのけそこのけと完全にバイクは雀の子状態。ペルーの交通ルールはいったいどうなっているのだ…

命辛々Lambayequeという街まで辿り着き宿を確保。ペルーの地図を確認してみると予定の半分も進むことができていない…まぁ、人生楽ありゃ苦もあるさってことなのだろう。

2009年8月16日日曜日

ペルー入国


グアヤキルを後にしペルーに向けて走り出す。とはいえ地図もコンパスも持ってないので所々で人に聞いてまわる。しかし、前から思っていたことだが人の言うことは当てにならないものだ。みんな言うことが適当。結局最初の1時間ほど全くペルーと逆方向に向けて走っていた。そこから大回りして再びグアヤキル方面へ向かい、それからやっとペルー方面へ走り出した。国境まではとにかく直線が続く。両サイドには広大なバナナ農園。世界シェアで第4位をほこるバナナ。日本でも一昔前まではエクアドルバナナがシェアを占めていたが現在ではフィリピンバナナにその座を奪われている。


国境に辿り着いたときには日が暮れかけていた。海岸沿いからの国境越えはみんな危ないと言っていたのだが、バイクでは特にその点に関しては感じず、ただイミグレーションの場所が非常に判りにくかった。前回のコロンビア~エクアドルの時はただ単にバイクでの越境が初めてだったので通り過ぎてしまったのだが、今回は手前の街にわざわざ寄らなければイミグレーションがないという状況だったので、知らずに越境してしまい国境警察に指摘され再びエクアドルの手前の街まで引き返すということになってしまった。とはいえエクアドル側での手続きはすぐに終わり、無事ペルー入国。しかしペルー側のイミグレーションもこれまた判りにくかった。国境から離れた街の中にあり、探している途中に一方通行を逆走し警察に職質されるはめに。なんとなく言っていることはわかるのだが、こういうときに役に立つ何を言っているか全く解りませんゼスチャー。しかしこの時ばかりはあまり通用せず、警察署まで同行。とにかく今イミグレーションに向かってるんだと伝えたのだが、この国では免許証が必要だとか保険に加入しなければならないだとかうだうだ言われる始末。しかし特に金を請求されることもなく、最後には「ビエン ビアッヘ(良い旅を)」と署長さんと固い握手。なにがなんだかよくわからないがひとまず一安心。そしてやっと辿り着いたイミグレーション。ここでも問題発生。ニカラグアのときのようにたかってくる勝手に手伝おうとする現地民。いやいいからと言っても勝手に手伝ってくれる。あげくの果てに金を要求。ペソ持ってないからと言うと近くにATMあるからそこまで連れてってあげるからとありがた迷惑にもほどがある。金の代わりに持っていたウィスキーボトル(約半分)とエクアドルの小銭でなんとか追っ払う。


後はひたすら海岸沿いの街マンコラを目指す。ここでキトで宿が一緒だった、ルーカスとダミアン、ジェニーが待っている。とはいえすでに日は暮れている。真っ暗なpanamerica highwayを時速80㎞で突っ走るのはかなりの勇気がいる。時折すれ違うバスや大型トラックのライトで全く前が見えない。その都度スピードをゆるめ、なんだかんだマンコラに着いた頃にはすでに午後11時をまわっていた。なんとか駐車場ありの宿を見つけそこに宿泊。さすがに10時間以上の運転は疲れる。そのままベットに直行するのであった…

2009年8月13日木曜日

ガラパゴス in Santa Cruz

早朝6時のサンタクルス島行きの船に乗り込む。昨日ダイブショップ前で会った女性もたまたま同じ船に乗り込んできた。彼女の名前はイネア。ダイブマスターの資格を持っているので、かれこれ1ヶ月ほどガラパゴスのダイブショップを転々としているらしい。これから以前働いていたサンタクルスのダイブショップに戻るのでよかったらそこにおいでと紹介してくれた。それはさておき再び荒れ狂う荒波にもまれながらの約2時間が始まった。一番後部座席を確保し潮風でも当たれば少しは気分は晴れるだろうなんて思っていたのが大間違い。潮風と共に降り注ぐ大量の海水。そしてみんなの同情の眼差し。サンタクルスに到着するころには「海に飛び込んだのか?」と思われるほどの水浸し状態…

宿を5、6軒ほどまわり唯一10ドルにまけてくれた“Hotel Elizabeth”に宿泊。ここのオーナー息子フェリペは手伝いのためキトから働きにているらしく、大のバイク(女)好き。バイクで南米をまわっているという話をすると「俺もいつかはしたいんだ」とバイク話に花開き、自慢のバイク写真を見せてくれたり「もしまたキトに来ることがあれば俺の家に泊まれ」などと言ってくれ非常に親切にしてくれた。

宿も決まったところでイネアが紹介してくれたダイブショップ“albatros”へ。ちょうどイネアもいて、いろいろと話を聞いた上ここのショップに決定。ちなみに2日間潜るということで1日通常120ドルのところを110ドルにまけてもらった。ダイビングも決まったので昼からTortuga Bayでシュノーケリング。ここは内海になっていて少し沖合まで行けば亀など見れるらしいのだが、荷物等の問題がありとてもそこまで行く気になれず、早々と退散し次の日の準備を整える。

ダイビング初日、朝から小雨がぱらついている。目的地はサンタクルス島南にあるFloreana。少し距離があるためここでも約2時間半ほど荒波にもまれながらの船移動。約1時間たったころだろうか、前を向けばイギリス人男性2人、そして左を向けばイギリス人女性1人が海に向かって魚に餌を与え始めた。大英帝国撃沈。見るに堪えない無惨な姿。さて僕はと言えばとなりにいるイギリス人ピートと共にサッカー話。生粋のロンドンっ子ピートはとにかくマンUファン。今朝も目が覚めるなりなぜオーウェンがクリスティアーノ・ロナウドの後に背番号7番を引き継いだのかについて考えたという、完全なサッカー馬鹿憎。そんなこんなで無事目的地に到着。撃沈組は船の上でお休み。せっかくここまで来たというのに…そうそうこのダイブではたまたま日本人の浅賀夫妻とご同行。そして僕のバディはサッカー馬鹿憎ピート。彼は5年前にハワイでライセンスを取って以来のダイブということらしいが、果たして大丈夫なのだろうか…早速海に潜る。最初のポイントはPunta Cormorant。透明度はカリブ海に比べると非常に悪い。そして寒い。しかし見られる魚の数はハンパない!いきなり亀と遭遇するやいなやサメ、エイととにかく魚の種類が豊富。とにかくアドレナリンの出っぱなしで興奮状態。しかし僕のバディピートは早々とエア切れで浮上…2本目のポイントChampionはもっと魚の数、種類がすごかった。そして時折現れるシーライオンが戯れてくる。みんなが良いという明日のポイントGordon Rocksはどれだけすごいことやら。初日のダイブを無事終了し夕食をみんなで食べに行く。船の上でくたばっていたイギリス人ロブは聞くところによるとダイビングのライセンスを持っていないならしい。とはいえ結局潜ってないから関係なかったのだが…

ダイビング2日目。本日も朝から小雨がぱらついている。聞くところによるとガラパゴスは今の時期毎日こんな感じらしい。とはいえ今日は待ちに待ったGordon Rocks!ここはガラパゴスの中でもDarwinを抜かして最も人気のあるポイントらしい。が、潮流が非常に強いらしくベテランダイバーが好むポイントでもあるらしい。なるほど今日のメンバーは昨日の浅賀夫妻しかり、フランス人カップル、ダイブマスターの資格を持つのキャサリン、ペペと自分を抜かしてみんな自前のウェットスーツ。事前にイネアからポイントの説明を受け、とにかく潮の流れが強いので海に入ったら即沈水するとのこと。そして実際そのときがきた。みんな一斉にバックロールで海に飛び込み、OKサインを出し潜り込む。潜り込むなりイネアが指差す。その方向に見えたものはなんとハンマーヘッドシャーク!!いきなりの遭遇に昨日以上にアドレナリンが大放出。しばらく進むとサメの大群に遭遇し、緊張の中海底待機。一向に数が減らないのでルート変更。すると巨大なイーグルレイ(トビエイ)が潮流に逆らって優雅に泳いでいる。そして僕らは潮の流れに沿って進む。バラクーダの大群など昨日以上の魚に遭遇。しかし想像していた以上に潮の流れは強くそして興奮しすぎたのだろうか、気がつけばエア切れ。皆より少し早めに浮上。2本目のダイブではハンマーヘッドシャークは見れなかったがとにかく満足のいくダイブだった。昼の2時にはサンタクルスに戻ったのでダーウィン研究所にてゾウガメ見学。世界で唯一のピンだゾウガメ、ロンサムジョージには会えなかったが、とにかくゾウガメのでかさに圧巻。他にもガラパゴスリクイグアナもここで見ることができ、最近ではこのリクイグアナとウミイグアナの共存関係が崩れ出しこの二種の交配によって生まれたハイブリットイグアナという新種のイグアナが見られるようになったらしい。ゾウガメ見学を終え、明日以降の予定を考える。サンクリストバル島に行こうと思っているのだが行ってしまうとまたここサンタクルス島にフライトのために戻ってこなければならない。となるとサンクリストバル島でのんびりする時間はあまりない。浅賀夫妻は明日もNorth Seymourへダイビングに行くという。うーん、非常に悩む。とりあえずイネアが夜の8時まで決断を待ってくれるというので、浅賀夫妻と食事に行く。そして食事をしている間に気がつけば8時をまわっていた…ということで開き直って昨日のメンバーと飲みに行くことに。するとそこに現れたイネアがもし今からでも行く気があるのなら用意しとくと言うではないか。これも何かの縁。ということでもう一日ダイビングすることに決定。

ダイビング3日目。またしても小雨。目指すはNorth Seymour。ここでのポイントMosqueraとSeymourではマンタと遭遇。昨日ほどの魚の数は見られなかったが、ここガラパゴスでしかできない貴重なダイビングができたことに大満足。そして夜はお決まりの飲み会。イネア、キャプテン・ホルヘ、そしてその友達の現地民たちとバーをはしごし最後は観光ポイントでもあるLagunas Las Ninfasにて朝まで飲み明かす。案の定、後日は二日酔い。

目的のダイビングも果たし、ハンマーヘッドシャークも見れ、なにはともあれ大満足でガラパゴスを後にしたのであった。

2009年8月3日月曜日

ガラパゴス in Isabela

当初の行くか行くまいか非常に悩んだガラパゴス諸島。その理由はとにかく値段が高い。しかし、行ってきた人々が口を揃えてこう言う、

「とにかく良い。絶対行くべし」

と。おまけにシーライオンと戯れてる写真や動画を見せてくる始末。頭の中で旅に出る前に職場が一緒だった川口さんの言葉がよぎる。

「近藤君。金はケチらないで、見たいと思ったものは見るべきだよ…見るべきだよ…見るべき…」

ということで、前置きが長くなったが行くことにした。

今回のガラパゴスの目的はなんといってもスキューバダイビング。というかホンジュラスのウティラ島でスキューバのライセンスを取ったのも、そもそもガラパゴスでスキューバしたいがためではないか。

キトからグアヤキルに移動する際にバイクバッグからロンプラがいつの間にか飛び出していたため、ガイドブックは一切持っていない(そのためグアヤキル到着時、約3時間街をさまようことに…)。だいたいのプランはチャリダーのヨシさんや野原夫妻の情報を元に決め、後はとにかく現地にて決める。

空軍傘下であるTAME航空(以前はTransportes Aéreos Militares Ecuatorianos、現在はTransportes Aéreos Mercantiles Ecuatorianosの略)に乗り込み、まずは上空からのガラパゴス諸島を堪能する。着陸するサンタ・クルス島が見えてきた。上から見る島はやや殺伐とした感じ。それもそのはず、ガラパゴス諸島は火山活動によってできた島であり、現在も火山活動は続いているのだ。

空港に降り立ち直ぐさま移動。目指すはイサベラ島。バスを降りてすぐの旅行会社でイサベラ島行きのチケットを購入。値段は35ドル。確かヨシさんや野原夫妻は30ドルって言ってたような気がして、そのことを伝えると「最近値上がりしたんだ」と言うのでとりあえず買ったのはいいが、あとあと他の人間に聞くとやはり30ドルらしい。まぁこういうことはよくあること。

イサベラ島まで約2時間の船旅。聞いていた以上に船が揺れるゆれる。元々乗り物酔いはほとんどしないが、念には念を入れてGuns N' Rosesをガンガンに聞きながら船の揺れに合わせ頭の中でシャウトする。斜め前の女の子はもうゲロゲロ吐きまくってる。

イサベラ島に到着した頃には5時近くなっていた。まずは宿探し。約10件近くまわったがどこも1人だと15ドル。今まで旅してきた中で最も高い値段だ(とういか今までが安すぎたのだが…)。ねばってもまったくまけてくれない。しょうがないので一番綺麗な宿を選び宿泊。4ベットを独り占め。こういうときに1人旅ってつらい…

宿も決まったところで街を探索&後日のツアーなどを申し込もうと旅行会社へ。ところがもう6時をまわっていたのと土曜日ということもあり、街はすっかり静まり返っていた…

後日、朝早くから街を探索。ダイブショップの前を通りかかったところ、これからダイブに行く人らしき人が前に座っていたので当日参加出来るかどうか尋ねてみた。船が空い
ていればいけるとのことだったが、結局空いていなかったため諦める。しかしここの人曰くイサベラ島で潜るよりもサンタクルス島で潜る方がいいとのことなのでこの島でのダイビングはやめ、ヨシさんお勧めの“Las Tintoreras”を目指す。この島は港からすぐなので泳いでいけるのだが、自然保護区は現地のガイドと行かなければならないので港で船とガイドを依頼して島に向かう。なるほど、ヨシさんの言う通りこれぞガラパゴス。シーライオンがいきなりお出迎えしてくれると、ペンギン、アオアシカツオドリにウミイグアナ。おまけにサメまでいるではないか。心躍ったところでシュノーケリング。この時のためにキトのブラックマーケットにてウォータープルーフカメラを購入。早速活躍する時がきた。海に潜り写真を2、3枚…ここまではよかった。次に写真を撮ろうとしたところ、エラー表示が出て撮れない。おまけに液晶が写らなくなり、いきなり壊れてしまった…最初から駄目もとでとは思っていたが、ホントに壊れてしまうとかなりへこむ。気分は最高潮からいっきにトーンダウン。

その他この島はボルケーノツアーが有名らしいのだが、そんな時間もない。そんなこんなで2日滞在したのち早々とサンタクルス島へ戻ったのでした。